お知らせ・報告

【報告】2/8(月)プレーリーダー養成講座

2016/02/27

 

150305・6kappa-report-yokonaga

 

当ホームページ上にて開催を告知しておりました天野 秀昭 さんによる講座「地域住民と取り組む遊び場・遊び環境づくり」を、去る2月8日(月)無事に開催することができました。40名もの方に参加していただき、たいへん有意義な講座となりました。皆様、ありがとうございました。天野さんは「教育」と「遊育」の違いや、都市化がもたらした子どもたちの心の危機、大人たちが「遊育」の場としての遊び場をつくることでその危機から子どもを守れるということについて、以下のような流れでお話してくださいました。

 

快の記憶と「遊育」

子どものころ遊んだ記憶というのは、いつまでも思い出せるものです。天野さんは、それを快の記憶と表現しています。気持ちが大きく揺さぶられる情動を伴った記憶は、強制されなくても記憶に残りアイデンティティの確立ができる、つまり自分を作るものになります。それが出来るのが「遊育」です。教育は、「教え・育てる」といった大人が価値を決め、それを教える大人主体の考えですが、「遊育」は「遊び・育つ」という、子ども主体の言葉です。本人にとって価値のあること、やってみたいと思うことをすることが、遊びだと天野さんは言います。

 

都市化による子どもたちの心の不自由

しかし、今の子どもたちは快の記憶として残る経験がないと言います。それは、都市化が進み大人の目が細部まで行き届くようになったからです。子どもたちは、大人がしてはいけないといったことは出来なくなりました。そして、大人がしなさいということが出来る子どもは、快を抑え込むようになります。自分の「やりたい」という衝動を我慢することで、子どもたちはストレス過多になります。そして、我慢したことも感じなくなり、関心がなくなります。そうしないと、心が壊れてしまうからです。

 

大人が作る、子ども主体の遊び場

だからこそ、子どもたちの「やりたい」ことを尊重する場が必要であり、それを作れるのは子どもの環境をつくる大人だと天野さんは言います。どこにでも大人の目がある今は、大人がどんな姿で子どもを受け止めるかが大事になってきます。壊すという行為、例えば穴を掘るというのは、公園のルールとしては禁止されるものです。しかし穴を掘ると、そこに水を入れる、水路を作るなどの遊びに発展します。壊すことができないと、作ることもできなくなるのです。大人が、こういった子どもの遊びを許容し見守ること、「遊育」する場をつくることが大事になります。大人が、子どもが自由に遊べる「環境」になるのです。

 

ページトップへ